サイバーユニオン

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労働とは何か
 労働者の労働者による労働者のための学びの場、大きく育つかな・・・

労働とは何か、人間が生きていくために必要な行為が”労働”〈全12回〉

私たちにとって働くことはあたり前のこと。生まれてからこれまで周りの大人たちが働く姿、働く背中を見て育ちました。そしてまた自分が社会にでたら働く、何世代にも亘って繰り返されてきた当然のことです。なぜ働くのか、資本主義とはどういう社会なのかなんて、改めて認識する必要はありませんでした。

しかし近年、私たち労働者の雇用や賃金(収入)が急速に不安定になってきています。その背景には、経済や産業のグローバル化やそこから生まれる金融危機などがあります。しかし、新聞等マスコミ報道ではこの問題の本質的なところには触れられていません。これを機会に、人間が働くということはどういうことなのか。また私たちが暮らす資本主義社会とはどういうものなのかをみなさんといっしょに考えていきたいと思います。
  1. 人間は人間の役に立つものをつくって生きてきた
  2. 資本主義社会はいつ頃どのようにしてつくられたのか
  3. 資本主義は雇う者と雇われる者で構成される社会
  4. 資本主義がなぜ非人間的な経済体制になるのか
  5. 労働者はどのようにしてつくられたのか
  6. 労働の量は労働時間で測る(労働の交換価値の基準)
  7. 労働者の健康を推し量る指標もまた労働時間である
  8. 賃金は労働力という商品の対価であり、労働者の購買力でもある
  9. 機械は生産性を向上させ雇用を減らす(1月30日大幅に改訂しました)
  10. 労働組合は労働市場における賃労働の売手側の組織である(2月2日発信)
  11. 資本主義と恐慌(3月1日発信)
  12. 資本主義社会は不平等(3月発信予定)
〔2014年6月20日掲載、2015年1月10日改訂〕

第1回 人間は人間の役に立つものをつくって生きてきた

古来より人間は、自然の条件や物を人間の役に立つように変えて生きてきました。これが働くということです。働いて物をつくり、それを使い、あるいは他者の物と交換する(たとえば、海で魚をとる人と山で山菜をとる人が物々交換するなど)ことによって人間は生活してきたのです。
そして時代が進むにつれて物々交換だけではなく、何にでも換えられる通貨や紙幣などのお金が生れてきました。何にでも変えられるお金がでてきたことによって生活はより便利なものへと発達して行きます。

現代社会は、お金、お金と、働く目的がお金という人も多いようですが、本来は、人間が生きていくために必要な行為が”労働”だったのですね。
生産をするためには、道具などの労働手段と原材料などの労働対象が必要です。マルクスは、生産に要するこうした物的要素を生産手段と呼んでいます。そして生産にはもちろん、その生産手段に働きかけて、生産活動を行う労働力が不可欠です。要するに、労働には主体と対象と手段があって、はじめて物をつくることができるのです。
〔2014年6月20日掲載、2016年3月2日改訂〕


第2回 資本主義社会はいつ頃どのようにしてつくられたのか

新聞等マスコミ報道では市場経済、自由競争などの言葉をよく耳目にします。実は、この言葉は資本主義の特徴を表す言葉の一つでもあるのです。第2回からは私たちが生れたときからどっぷりと浸かって疑問にも思わない資本主義社会と資本主義が生みだす苛酷な現実をとりあげていきます。

さて、時代はすすみ18世紀後半にイギリスではじまった産業革命は19世紀前半にはヨーロッパ各国に広がり、封建制社会についで資本主義社会が登場します。この頃の世の中は宗教的権威や王侯貴族の支配に対する反発から市民革命が起こり、それによって資本主義の世の中に変わっていくわけです。その革命の中心を担ったのが当時台頭してきたブルジョアと呼ばれる新興の産業資本家たち、いまでいうところの経営者たちです(以下、わかりやすくするために資本家と呼びます)。

封建制社会では、聖職者や土地貴族といった高貴な身分の人たちに比べて、私的な利潤追求をする資本家は財力にものをいわせて権利を拡大しようとする下賤な者とみなされていました。しかし、その資本家たちは資本主義社会への移行期に台頭し、やがて自分たちの社会をつくって行きます。彼らが台頭するきっかけは、覇権を拡大するヨーロッパ列強のお家事情にありました。

17世紀初頭、常備軍や官僚制度を維持するための大きな財源を確保するためにイギリス・オランダ・フランスはそれぞれ東インド会社を設立し、香料の輸出や植民地経営に乗りだしました。自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとしたのです。こうした経済政策の一端を担うことで資本家たちは次第に政治的実力を蓄えていきます。彼らは経済的な力だけではなく政治的な力も備えていったのです。

しかし一方で資本家たちは、営業の自由や利権の拡大を模索しようとすると、たえず身分制社会の壁にぶつかっていました。しかもその壁は動かしがたい宗教的権威によって守られていたのです。そこで資本家たちは、生産労働や商取引を通じた富の獲得と私的所有の正当化の必要から、封建的な身分制度を切り崩して、国家主権そして政治への干渉を強化し、やがて経済主体ばかりか政治主体をもつかみ取っていくのです。

要するにここで言いたいことは、資本主義社会はその名のとおり資本家つまり現在でいうところの経営者が中心となって経済および政治体制を築いた社会だということ。そして、その目的は私的な利潤追求にあり、その利潤は市場メカニズム(仕組み)によってつくりだされるということの2つです。
〔2014年6月27日掲載、2015年1月10日改訂〕

第3回 資本主義社会は雇う者と雇われる者で構成される社会

このようにしてつくられた資本主義社会は、私的所有と市場競争に基づく経済体制そして、人権・自由および私的所有権を実現する政治体制をもつ社会です。これは政治が経済を抜きにしては語れなくなった時代、つまり政治の針路が市場の論理によって決定される時代のはじまりです。

その資本主義社会の目的や仕組みはどのようなものなのでしょうか。
まず資本主義社会の目的は資本を増やすことにあります。その資本とは何か。それは儲けるための元手となるお金の集まりのことです。単なるお金ではなく、利益を得るためのお金の集まりのことを資本といいます。

次に資本主義社会の仕組みはというと、一言でいえば、すべてが商品化され、貨幣を仲介にして、それが取引される社会です。もちろん商取引や貨幣は古代からありましたが、物やサービスだけでなくあらゆるもの、たとえば封建制社会には領主が支配していた土地、あるいは物と物とを媒介する貨幣や労働力という特殊なものまでもが商品化されるようになったのです。商品の中で価値を生みだせるのは唯一「労働力」だけです。けれども、その価値は労働力から無限に生みだされるわけではありません。労働力の使用価値を消費することによって新たな価値が生みだされるのです。このようにすべてが商品化されたのは、産業革命以降のことで人類の歴史からみれば比較的新しいことなのです。

また資本主義社会は、封建的な身分制度を切り崩してつくられた市民社会でもあります。市民社会(=私的世界)とは、王侯貴族と領民という支配する者と支配される者という身分的な関係から解放され、自由を手にした個人が、自分と家族の保存と利益を求めて労働し、生産し、消費を行う共同社会のことです。そこには身分制度に替わって、雇う者(=資本家)と雇われる者(=労働者)という二つの社会集団が存在します。

雇う者のことを資本家(現在の経営者)といいます。資本家の目的は資本を増やすことにあります。具体的に、資本家は労働者を雇って、働かせる(=労働力の使用価値の消費)ことで商品という価値を生みだします。それを売ってお金に換えて、また労働者を雇って働かせ、商品という価値を生みだし、それを売ってお金に換える、お金→労働力→商品→お金という循環のなかで資本を増やしていきます。つまり私的な利潤の追求を延々と繰り返すのが資本家なのです。

それでは雇われる者とは誰のことをいうのか。生産手段をもたないで労働力のみを売る人々のことで、労働者といいます。労働者は労働力の再生産(=生活)と生産(=子育て)を目的に資本家に雇われて働く(=労働力の提供)のです。

ここでとくに重要なのは、資本主義社会ではすべてが商品化されます。その商品の中で価値を生みだせるのは唯一”労働力”という商品だけです。けれども、その価値は労働力から無限に生みだされるわけではありません。労働力の使用価値を消費することによって新たな価値が生みだされるのです、という部分です。
〔2014年7月5日掲載、2016年3月3日改訂〕

第4回 資本主義がなぜ非人間的な経済体制になるのか

1989年にベルリンの壁がとり壊され、1991年にソ連が崩壊し、共産主義圏と資本主義圏との冷戦体制が終結してグローバル化の垣根がとり外されました。そして、資本主義社会の豊かさや自由への憧れから世界は一つの市場となりました。資本は国境を越えて世界に投資され、グローバルな資本主義が急速に発展を遂げたのです。

その結果、世界中が豊かになった?いいえ、労働市場は規制緩和され、各国で非正規労働者が増大しました。それにより労働者側の賃金決定力が低下して大企業の内部留保が増大しました。少数の富裕層への富の集中がすすみ、世界中に貧富の格差と貧困が拡がりました。
2011年にはニューヨークのウォール街をはじめ世界各地で若者たちが「われわれは99%だ」というスローガンを掲げて金融街を占拠し、1%の富裕層の代弁者と化した政権への怒りを表明しました。このような事態になったのは、資本主義社会には表向きの豊かさや自由とは裏腹に、奴隷労働とは別種の強制や苛酷さが潜んでいるからです。

たとえば豊かな国日本で、なぜ貧困がなくならないのか。経済的に給食を食べられない子どもや餓死者がでるのか。長時間労働によってうつ病や自殺・自死、過労死する人が後を絶たないのか。最低生活賃金以下で働く労働者(ワーキング・プア)が増えているのかなど、労働力人口の大半を占める労働者がとても人間らしい生活とはいえない状況に置かれている現実があります。

私的所有と市場競争を拠り所とする資本主義経済は平等社会ではありません。そのままでは巨大資本に富を集中させ、労働者に悲惨な生活(失業・増税・社会保障の切り下げ・非正規労働者の増大、教育の格差、貧困の連鎖など)をもたらすのが現実です。だからこそ日本国憲法は28条(団結権・団体交渉権・争議権)に労働三権を定めて、労働者が労働組合をつくることを公に認めています。さらに法律で最低労働基準を定めるなど、労働条件の悪化に歯どめをかけて労働者を保護しているのです。

また、職場では労働者も資本家も働くということに変わりがないように見えます。しかし、その目的も働き方も全く違います。労働者は労働力の再生産(=生活)を目的としていますが、資本家は資本を増やすこと(=利潤の追求)を目的としています。したがって、労働者が働くときはいい物を作ろうとか、効率をよくしようとか、技術や技能の修得や工夫を重ねるとか、このように仕事の腕を磨きます。その一方で、資本家はどうやったら利潤を上げられるのか、金儲けの腕を磨きます。その具体的な方法を5つ挙げると、①機械を大量に導入して低廉な商品を大量に生産し、労働力の再生産費(=生活費)を安くすることで利益をあげます。②労働者を長時間働かせることによって利益をあげます。③機械を導入して人員を削減して利益をあげます。④そうすると失業率が高まり、需要と供給の関係から労働力価格である賃金(給料)が低下します。⑤その一方で、職場に残された労働者たちは以前より少ない人数で仕事をこなさなければならなくなり(=労働強化)必然的に労働生産性は上がります、というようなことです。

とはいえ資本主義経済は悪い面ばかりではありません。格差を生みだしながらも、社会全体の生産力と富を拡大し、平均的な生活水準を向上させました。また絶え間ない競争が新たな技術革新を促すために、消費者・購買者である私たちの生活の便利さや快適さを飛躍的に向上させ、豊かさを拡大させました。また、さまざまな欲望の実現や個人の選択肢を広げました。市場での競争は情報網を発展させ、知識水準の向上、個人の自己決定範囲の拡大など自由を拡大させました。

こうした資本主義の悲惨さそして豊かさや自由という二面性を労働者がはっきりと認識し、その無慈悲さを理解することによって、非人間的な労働の改善に乗り出して行けるのです。
〔2014年7月25日掲載、2015年1月10日改訂〕


第5回 労働者はどのようにしてつくられたのか

ご存じのようにイギリスで起こった産業革命は機械設備をもつ大工場・大量生産を可能にしました。そこには大量の労働者が必要とされました。しかし労働力商品の売り手である労働者は昔からいたわけではありません。それまで自然の営みと共に働いていた者たちが、このような苛酷な労働条件になびくはずもなく、資本家とその政府は強制的に労働者をつくる必要がありました。

そもそも封建制社会では、労働者は農村で土地をもって農業を営む自営農民でした。しかし、羊毛価格の上昇を利用して儲けを企んだ封建諸侯は、羊を飼うために農民を土地から追い出しました。つづく宗教改革では、カトリック教会の領地が私有地化され多くの農民が放り出されました。行き場のない農民は都市に向かいましたが、もちろん都市に放り出されただけでは労働者にはなりません。そこで資本家は国家権力を利用して、労働することを拒む者を徹底的に取り締まる法律を施行しました。かくして農民に生きる手段として残されたのは唯一つ、労働力を売ることだけでした。

資本家はこのようにして労働者をつくり、その上資本に対して人件費の割合が増えれば利益が減るため、彼らに都合のいい低賃金・長時間労働という枠の中で労働者を強制的に働かせました。人間的な生活を奪われた労働者と非人間的な労働を押しつけた資本家との闘争は、まさにここから始まったのです。そして、今日までつづくこの長い長い闘いの中から労働者として自らを自覚する教育・伝統・習慣が生れました。

労働者が生まれる過程を知ること、それは労使関係に関する土台の構造を知ることでもあります。
〔2014年8月1日掲載、2015年1月11日改訂〕

第6回 労働の量は労働時間で測る(労働の交換価値の基準)

人間は人間の役に立つものをつくってきたと第1回でお話ししました。その中で魚と山菜との物々交換を例にあげましたが、お金が生まれるずっとずっと以前の話ですから値段などあろうはずもありません。この2つを交換するには、まず魚1匹と山菜1把を交換するのがよいのか、あるいは魚1匹と山菜2把なのか、はたまた魚2匹と山菜1把なのか、ということをきめなければなりません。古代の人々は物と物とを交換するための価値基準をどこに置いたのでしょうか。

実は、古代の人々は物を採ったりつくったりするとき、そこには共通項として労働した時間があることに気づきました。そこで物々交換する際の価値基準として労働した時間を用いたのです。たとえば、1匹の魚を釣り上げるのに1時間かかった。そして山菜は1時間で3把分採れたとすると、魚1匹と山菜3把が同じ価値のものとして交換されました。

このように物に含まれている労働の量から交換価値が生れます。それは資本主義社会においても商品交換の法則として資本家の拠り所とするところになりました。なぜ労働の量によって商品の交換価値がきまるのでしょうか。それは水中から魚を釣り上げる技術と山から山菜を採ってくる技術とは互いに労働の質が違います。その異なる2つの労働に共通するものさしは労働の量です。だから交換価値は労働の量で測るのです。

そして労働の量とは、労働した時間つまり労働時間のことです。商品の交換価値は労働時間によってきまりますが、同じ商品であっても短時間で仕上げる人や遅い人、あるいは怠けて長時間かける人など労働者によって個人差があります。でも、ここでいう労働時間は個別の問題ではなく社会全体の中での平均的な労働時間を想定しています。

以上のように、物と物とを交換する際の価値基準は古来から労働時間だったことがわかります。今、安倍政権の規制緩和によって残業代ゼロ制度の導入がすすめられています。しかし、労働時間は大切な労働のものさし・尺度です。労働者のいのちと健康を守るために労働時間規制がどれだけ大切な役割を果たしているか考えてみてください。
〔2014年8月8日掲載、2015年1月12日改訂〕


第7回 労働者の健康状態を推し量る指標もまた労働時間である

資本主義以前の社会では、風習と自然、年齢と性、昼と夜の枠組みのなかで人々は暮らしていました。この時代までは総じて労働時間は短かったのです。ところが産業革命によって大工場・大量生産がはじまると、この枠組みは粉砕されてしまいます。その代わりに資本家は機械の稼働率と生産効率という非人間的な枠組みの中で働くことを労働者に強制しました。その結果、労働時間は無際限へと強暴に突きすすんだのです。同時に、産業革命がはじまった18世紀後半から19世紀、イギリスはじめヨーロッパ諸国は工業の力を背景にして世界中に市場を求めて新たな植民地政策を拡大していきました。それは中国や韓国にまで及び日本は開国を迫られ明治維新をむかえたのです。これが利潤を追求することには容赦のない資本主義のむき出しの本性です。そこには人間味などありはしません。そのままの資本主義は非人間的な荒々しいものです。

この頃の資本家は労働力を一日単位つまり一労働日で購入していました。現在のように一日8時間労働といった規制のない時代のことで長時間働かせても違法とはいえなかったようですが、ブラック企業・ブラックバイトが社会問題化している現代社会の実態を見るととても他人事とは思えません。百数十年経った現在でも同じような見解を持つ資本家(=経営者)は多いようです。やはり労働者には自己防衛手段としての労働組合が必要ではないでしょうか。それでは労働日に対する資本家の見解を150年前に書かれた書物から引用します。

◆資本家の見解
一労働日とは何か?とにかく、自然の一生活日よりは短い。どれだけ短いか?資本家はこの極限についての、労働日の必然的限界についての、かれ特有の見解をもっている。資本家としては、彼は単に人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。しかるに、資本はただ一つの生活衝動を、自己を増殖し剰余価値を創り出す衝動を、……能うかぎり多量の剰余労働を吸収しようとする衝動をもっている。資本はただ生きた労働の吸収によってのみ、吸血鬼のように活気づき、またそれを多く吸収すればするほど、ますます活気づく、死んだ労働である。労働者が労働する時間は、資本家が自分の買った労働力を消費する時間である。労働者が彼の意のままになる時間を、自分自身のために消費するならば、彼は資本家のものを盗むことになるのである。(岩波文庫、マルクス資本論(二))
このように労働者を一日中自分のために労働させる権利を得た資本家が労働力を無際限に消費する(労働時間を非人間的にぎりぎりまで延長する)なかでどんな問題が起こったかを本の事例から紹介します。
◆当時の労働者状態
事例1「夜中の2時、3時、4時に、9歳から10歳の子供たちが汚いベッドのなかからたたき起こされ、ただ露命をつなぐためだけに夜の10時、11時、12時までむりやり働かされる。彼らの手足はやせ細り、体躯は縮み、顔の表情は鈍磨し、その人格はまったく石のような無感覚の中で硬直し、見るも無残な様相を呈している。……男子の労働時間を一日18時間に制限すべきことを請願するために公開会議を開くような一都市を人はいったいどう思うだろうか」(筑摩書房、マルクス・コレクションⅣ)

事例2「ぼくは朝6時、ときには朝4時に来る。昨晩は徹夜で今朝は6時まで働いた。昨日の夜からベッドに入っていない。ぼくのほかにも8、9人の他の少年たちが昨晩は徹夜で働いた。……徹夜で働いても余分にはもらわない。先週は二晩徹夜で働いた」(筑摩書房、マルクス・コレクションⅣ)

事例3「一つの鉄道大事故が何百人もの乗客をあの世に送り届けた。鉄道労働者たちの不注意がこの事故の原因だった。彼らは異口同音に陪審員たちの前でこう説明する。10年から12年前までは、自分たちの仕事は一日8時間にすぎませんでした。ここ5、6年の間にそれが14時間、18時間、20時間に延長され、行楽列車の……時期には労働時間は中断なく40時間から50時間になることがよくあります。私たちとて普通の人間にかわりなく、超人ではありません。ある時点がくると自分たちの労働力は支障をきたすようになるのです。麻痺が自分たちを襲います。頭は考えることをやめ、目は見ることをやめてしまいます、と。申し分なく『立派なイギリスの陪審員たち』は彼らを『殺人』のかどで陪審裁判に送るという判決をもってこれに答えた」(筑摩書房、マルクス・コレクションⅣ)

事例4「メリー・アン・ウォークリーは他の60人の少女たちとともに26時間半休みなく働いた。30人ずつ、必要な空気量の3分の1も供給されない一部屋におしこまれ、夜は夜で二人ずつ一つのベッドに入れられる。しかもベッドがおかれているのは一つの寝室をさまざまな板壁で所せましと仕切った息の詰まる穴ぐらのような場所だった。しかもこれが、ロンドンでは良いほうの衣装工場の一つだった。メリー・アン・ウォークリーは金曜日に病気になり、日曜日に死んだ。エリーズ夫人が驚いたことに、あらかじめ最後の一着を完成もしないで」(筑摩書房、マルクス・コレクションⅣ)
以上が労働時間を延長することによって肉体的そして精神的な諸限界にぶつかった労働者の実態です。つづいて当時の労働者の健康状態はどうだったのでしょうか。
◆当時の労働者の健康状態
「労働者階級の健康状態にかんする報告も、これと同じ事実を証明する陳述をふくんでいる。リヴァプールでは、1840年に上流階級(紳士階級、自由職業家等々)の平均命数は35歳で、商人および比較的恵まれた地位にある手工業者の平均命数は22歳、労働者、日雇人夫および被雇用者階級一般の平均命数はわずか15歳であった。……労働者の子供の57%以上が5歳にならないうちに死亡するのに、上流階級の子供のうち5歳前に死亡するのはわずか20%しかなく……」(『イギリスにおける労働者階級の状態』―『マルクス=エンゲルス全集』第2巻)
上流階級でも35歳ですから当時は短命だったのだと思いますが、それにしても労働者の平均寿命が15歳とは、あまりにも悲惨な状況だといわざるを得ません。
労働時間の考え方のベースになっている時間配分例 円グラフは労働時間の考え方のベースになっている時間配分の例です
人間は機械ではないから一日の労働で疲れた身体を回復させ、また翌日健康に働くためには、毎日、労働力を再生産する必要があります。労働力を再生産するというのは、翌日も、今日と同じ標準状態の力、健康、および気分をもって、労働者は労働することができなければならないということです。そのためには、食事をし、身を清め、身支度を整え、休息し、睡眠をとるなど肉体的な欲望を充たし、精神的および社会的諸欲望を充たすための時間を必要とします。

しかし、ややもすると労働者の生活時間・睡眠時間に喰い込んでくる労働時間の存在、原因はどこにあるのでしょうか。それは商品を買って使用するのは商品の買い手だからです。労働力もそれを使用するのは労働力の売り手である労働者ではなく、労働力の買い手である資本家だからです。
たとえば、資本家が買った労働力を無際限に消費すれば、労働者は肉体的にも精神的にも消耗してしまい労働力の再生産が難しい状態になります。昨年、過労死等防止対策推進法が成立しました。同法は「近年、わが国において過労死等が多発し大きな社会問題となっている」という言葉からはじまります。労働力の買い手に任せておけば21世紀の現代でもこのようなあり様です。なぜなら資本家が労働時間をどんどんどんどん延ばす理由は、労働力を使えば使うほど消費すればするほどに、より多くの剰余労働の生産物を無償で手にすることができるからです。だから労働者の心身の健康とは無関係に可能な限り労働時間を延ばそうとするのです。仕事に追われて労働者自身が労働時間に無頓着になっていてはいけません。労働者自身が目を配ることが大切なのです。

〔2014年8月29日掲載、2015年1月13日改訂〕

第8回 賃金は労働力という商品の対価であり、労働者の購買力でもある

賃金(給料)は労働者の収入源です。その額によって生活水準がきまってしまうほどのものですが、どのような基準で支払われているのでしょうか。よく賃金は労働の対価だとか、労働力の対価だとか言われますが、初期の賃金はどのように考えられていたのでしょうか。

資本主義社会の中で労働力の交換価値は、労働力(=労働者の能力、新しい価値を生みだす力)をつくるのに要した労働時間によって決まります。当時の賃金は、現在のように労働者が持つ特殊な技能や資質は考慮されず、最低生活賃金としてしか支払われていませんでした。これが初期資本主義の賃金です。

ここで大切なのは、資本家は労働力が新たな価値を生みだす機能を持っているからその機能に対して賃金を支払っていますが、労働者は自分の能力を含めた労働の価値に対して支払われていると思っていることです。
労働の価値というのは投下されたすべての労働力の価値のことをいいます。繰り返しになりますが、資本家が支払う賃金は労働力の機能に対してだけなのです。その他の労働力の価値については加味されていません。それにも拘らず労働者はすべての労働力の価値に対して正当に賃金が支払われていると勘違いしているのです。これが賃金支払いの根底にある考え方です。

ところで搾取という言葉をご存じですか。搾取という言葉を辞書で引くと――生産手段の所有者が生産手段を持たない直接生産者を必要労働時間以上に働かせ、そこから発生する剰余労働の生産物を無償で取得すること――とあります。つまり資本家が労働者を賃金分(=必要労働時間)以上に働かせ、その余分に働いた時間にできた生産物を只で自分の取り分にするということです。
一般的に労働者は資本主義社会で労働力を売っているとは考えず、労働の対価として賃金を受けとっていると思っています。だから剰余労働の生産物をピンハネする賃金システムだなんて考えもおよばないのです。労働者個々人に搾取されているという実感があるかどうかは別として、賃金決定の仕組みから労働者はみんな搾取されているといえます。

その搾取構造の鍵を握るのが商品の”交換価値”と”使用価値”です。交換価値では労働の量が、使用価値では労働の質が問題になります。この2つの価値を計る尺度が違うことが大変重要なポイントになるのです。
資本家は商品交換の法則を拠り所にして労働力を買います。そのため労働力という商品の交換価値は、パソコンや冷蔵庫・食品や衣服などすべての他の商品の価値と同じく労働力を生産するのに必要な労働時間によって規定されます。これが資本家(=経営者)が賃金を支払う根拠です。労働者は労働の能力の対価として賃金を受けとっていると考えていますが、資本家は新たな価値を生みだす労働の機能に対して賃金を支払っています。会社がいかに儲かっていても実際にものづくりをしている労働者の賃金が増えない所以はこの考え方の違いにあります。

次に、労働者が自分は一生懸命働いているのにその働きに見合う賃金が支払われていないと感じる原因の大本は労働力の使用価値にあります。労働力の使用価値の中にはもともと資本家の搾取分が含まれています。目には見えませんが、労働者が理不尽に感じるのはまさにその点なのです。
たとえば、労働者が一日8時間働いて8000円を得たとします。しかし労働者の能力なら4時間で8000円分の商品を生産できます。その労働者が8時間働けばその倍の16000円分の商品を生産します。なのに資本家は8時間働けるという機能に対して8000円の賃金(給料)しか支払わないのです。ゆえに資本家が買った労働力が生みだす価値のうち、労働者の賃金分の価値を必要労働といい、賃金を超えて生みだされる価値を剰余労働といいます。剰余労働というのは、資本家が無償で取得する価値であり、労働者が搾取されている価値です。

また、こうして得た賃金は労働力を再生産するために使われます。資本主義社会において、今度は、労働者が商品の買い手に回るのです。たとえば、健全に働くために必要な衣食住を手に入れ、結婚したり、子どもを育てたりするために使います。その時々に、どのような商品をどれだけ購入できるかは、その労働者が得る賃金の額によってきまっていきます。したがって賃金は労働者の購買力でもあるといえるのです。
〔2014年9月5日掲載、2015年1月15日改訂〕


第9回 機械は生産性を向上させ雇用を減らす

「商品の生産力が上がるとピンハネ率が上がる」これは生産性向上の本質をついた言葉です。
生産性向上というと、労働者は自分も含めた企業全体が良い方向に向うような錯覚に陥ります。しかし実際には下の図表1を見てもわかるように、労働者自身の賃金のために働く時間よりも資本家のために働く時間の方が長くなり、したがって、労働者は今まで以上に損をして、資本家(=経営者)は一層得をする、そういう仕組みが生産性向上です。
図表1は商品の生産力を上げるために機械を導入した場合のピンハネ率の変化の一例を示しています。

図表1からわかることの一つは、機械導入後の3時間の必要労働は機械導入前の4時間の必要労働と同じ労働支出があったということです。時間が短縮された分労働密度は濃くなり、その分労働強化が行われたといえます。もう一つは、労働者が生みだすすべての価値は資本家が労働力に対して支払った価値=賃金よりも大きいということです。

1802年イギリスに工場法ができてから労働時間の延長、つまり長時間労働に対する規制がはじまりました。それまでの資本家はただ自分が買ったもの、つまり労働力の価値を最大限に引き出そうとして、労働時間を極限まで延長してきました。いわゆる長時間労働によって労働者から労働力をしぼりとれるだけしぼりとってきました。

資本家はとにかく儲けたい、資本を増やしたいのです。そのためには労働者からより多くの剰余価値をしぼりとる以外に方法はありません。その方法は2つ、一つは労働者の数を増やしてそれぞれの労働者から剰余価値を得ること、二つには労働者一人当たりのピンハネ率(剰余価値率)を高めることです。

資本家が労働者から剰余価値をしぼりとるには、労働時間を長く長くすることですが、工場法の成立によって長時間労働が規制されるようになるとそれは難しくなりました。しかし、そういう状況でも資本家は今までどおりの剰余価値を求めます。そこで、今度は一定の労働時間内の剰余価値率を上げるには労働の強化しかないと考えたのです。だから資本家は口癖のように「効率を上げなさい」といいます。

資本規模が大きくなると大量の原材料や莫大な額の機械・設備などに含まれる価値が増えるにともなって、大量の労働者が必要になってきます。巨大な生産手段を維持するために労働者が多数雇われる様子は人々に、まるで機械が価値を生みだしているかのような錯覚を与えます。では、機械というのは資本主義生産の中でどういう役割を果たしているのでしょうか。それは①商品を低廉にするためのものであり、②労働者が自分自身のための必要労働時間を短縮して資本家に無償で与える剰余労働時間を延長するものです。要するに機械は剰余価値を生産するための手段として使われるのです。丁度ここに、大工場がはじまったばかりの19世紀の労働強化について書かれた本があります。見てみましょう。

労働の強化
資本の手中にある機械装置が産み出す無制限な労働日の延長は、すでに見たように、のちにいたって、生活の根源を脅かされた社会の反動、およびそれとともに法律によって制限された標準労働日を誘致する。この標準労働日の基礎の上に、われわれがすでに前にも遭遇した一現象が、決定的に重要なものに発展する―すなわち労働の強化がそれである。絶対的剰余価値の分析に際しては、さしあたり、まず労働の外延的大いさが問題にされたのであって、労働の強さの程度は、与えられたものとして前提されていた。いまやわれわれは、外延的大いさの内包的大いさへの、または強度への、一変を考察せねばならない。


機械制の進展と機械労働者という独特の一階級の経験の累積とともに、労働の速度と、したがってその強度が、自然発生的に増大するのは言うまでもない。すなわち、イギリスでは半世紀のあいだ、労働日の延長が、工業労働の強度の増大と相伴って進んでいる。しかし、一時的な発作ではなく、毎日繰返される規則的な斉一さを眼目とする労働にあっては、労働日の延長は労働強度の低下とのみ両立し、また逆に強度の増大は労働日の短縮とのみ両立しうるという限界点に、到達せざるをえない、ということは、容易に理解される。

しだいに高まる労働者階級の反抗が、強圧的に労働時間を短縮して、まず最初に本来の工場に標準労働日を課することを国家に強制するや否や、したがって労働日の延長による余剰価値生産の増大に終局が告げられた瞬間から、資本はすべての力と充分な意識とをもって、機械体系の急速な発達による相対的剰余価値の生産に没頭した。それと同時に、相対的剰余価値の性格に、一つの変化が現われる。一般的にいえば、相対的剰余価値の生産方法は、高められた労働の生産力によって、労働者が同じ労働支出をもって同じ時間により多くを生産しうるようにすることにある。同じ労働時間は、依然として同じ価値をもって表示され、したがって、個々の商品の価値は低下するのではある。

しかるに、強圧的な労働日の短縮が、それが生産力の発展と生産諸条件の節約とに与える巨大な衝撃をもって、同時にまた、同じ時間内における労働支出の増大を、労働力のより強い緊張を、労働時間の気孔のより濃密な填充を、すなわち労働の凝縮を、短縮された労働日の範囲内でのみ達しえられる程度にまで労働者に強制するに至れば、事態は一変する。一定の時間内にこのようにより多量の労働を圧縮することは、いまやそれが、ある通りのものとして、より大きな労働量として、計算される。「外延的大いさ」としての労働時間の度量のほかに、いまやその密度の度量が現われる。

いまや10時間労働日より濃密な時間は、12時間労働日のより粗放な時間と同じだけの、あるいはそれよりも多くの労働、すなわち支出された労働力を、含んでいる。したがって、その1時間の生産物は、より粗放な1時間5分の1の生産物と同じか、またはより多くの価値をもっている。高められた労働の生産力による相対的剰余価値の増大を別としても、いまでは、たとえば6時間3分の2の必要労働にたいする3時間3分の1の剰余労働が、以前には8時間の必要労働にたいする4時間の剰余労働が与えたと同じ価値量を資本家に与える。(岩波文庫、マルクス資本論(二))
そこで問題となるのは、いかにして労働は強化されるか?ということです。

最初まず労働の凝縮の主観的条件を、すなわち、与えられた時間内により多くの力を流動させる労働者の能力をつくり出す労働日の短縮が、法律によって強制されるや否や、資本の手中にある機械は、同じ時間に、より多くの労働を搾り出すための客観的な、かつ組織的に応用される手段となる。

このことは二重の仕方で行われる。

すなわち、機械の速度を高めることと、同じ労働者によって監視される機械装置の範囲、すなわち彼の作業場面の範囲を拡大することによって。機械装置の構造の改良は、労働者に一層大きな圧力を加えるために必要でもあるが、またおのずから労働の強化を伴うものでもある、というのは、労働日の制限が、生産費の極度の節減を、資本家に強制するからである。(岩波文庫、マルクス資本論(二))
生産性向上とは労働の生産性であって、労働力の価値=賃金が上がることとは別です。

資本主義生産では、企業(資本)は常に競争に晒されています。他の企業との競争に負けないためには生産力を上げなければなりません。常に効率というものが問われ続けた結果、資本主義の発展過程は独立手工業→工場制手工業→大工業(大工場)という段階をへていきました。資本が集中・蓄積する過程にこそ格差拡大の要因が含まれています。

独立手工業の時代、職人的な労働者で高度のスキルや経験をもった熟練労働者が、すべての工程を一人でこなし、一人ひとり別々に生産をしていました。それがやがて一カ所に集められ、設備が効率的に使われる協業が行われるようになります。協業のメリットは設備の効率化だけでなく、すべての労働者が同じ仕事をしていたとしても、お互いの競争意識が自ずと高まり、生産力が上がるというところにあります。この協業こそが資本主義生産様式の基本形態であり、労働者は資本の生産力の一部分として知らず知らずのうちにとりこまれていきました。

資本が資本を生み大量に集められた労働者集団(熟練労働者と未熟練労働者の混合集団)は、一つの生産システムをつくって工場制手工業へと移っていきます。工場制手工業では一つの工程につき労働者を一人つけます。30工程なら労働者30人、100工程なら労働者100人というように、仕事の内容は細分化され専門化して全体の歯車が動くことによって商品が完成するシステムです。
一人ひとりの作業は専門化され単純になり、熟練の職人がつくるより多く生産ができるようになりました。労働者は一つの工程しかこなさないので仕事を身につけるのも簡単だし、仕事の範囲が限定されているから短期間で腕前は上がり高いレベルを発揮できるようになります。よって、それなりの品質の商品を量産できるようになりました。こうして資本は効率を上げ、その反対に労働者は一人で価値を生みだす能力をなくしてしまいました。しかし、日々の生活に追われている労働者がそのことに気付くのはずっと後のことです。
ここでは、労働者はそれぞれ分担をもって計画的に生産するようになり、そこでの協業は個々人の競争意識に加えて、監督・指揮をする者・生産する者という分業体制を構築してより組織的な生産形態へと発展していきました。そして集められた労働者は自分だけ認められようと、上司の命令がなくてもどんどん仕事をするようになります。放っておいても動くシステムこそ協業の特徴です。

こうして資本は大工業(大工場)へと発展し、機械の導入は労働の生産性を極度に高めました。ここでも、倍倍の速さで生産効率が高まっていき、資本家が獲得する剰余労働はますます増大しました。それとは反対に、1個の商品を生産するのに要する労働時間は激減してしまい、労働者の賃金(人件費)に当てられる資本の割合は低くなっていきました。
生産効率を上げるにはスピードが問題になりますが、機械は進化すればするほど生産効率は上がり、その操作が簡単になります。だから労働者なら未熟練でも誰でもよくなります。そうなると労働力の価値=賃金は下がっていきますし、労働者の数も減らされていきます。大工場に熟練労働者が少ないのはこういった理由からです。したがって資本家は多少高価な機械でも、それによって労働者を減らせるのならばと積極的に導入します。さらに機械が発展すればするほど、資本家には不平不満をもつ労働者を追い出す理由ができることがわかります。

過酷な労働から身を守ろうとする労働者は、労働時間の短縮や賃上げを求めます。資本家にとってみれば不満をいう労働者より機械の方が使いやすいのです。そこで資本家は、人件費と機械を導入する投資額を天秤にかけます。ものすごく高性能で高い設備や機械でも高くなりつつある人件費よりはメリットがあると判断すれば、労働者は切り捨てられます。
労働者はまさに人間労働と企業効率との板挟みなのです。条件をよくしようと努力すればするほど、リストラされる理由をつくりだしてしまうことになります。そうした中から以前よりも長時間で過酷な労働に甘んじる労働者も出てきます。あえなくリストラされてしまった労働者には、何の技術も能力もありません。その会社でしか役立たない極めて部分的な作業しかやってこなかったからです。そして、誰でもできる単純な仕事を新たに探し求めることになります。
このように労働者を追い込むのは、資本家というより、機械が体現する資本そのものにみえます。

この他にも賃下げの余地をつくりだすために資本家は、労働力の再生産費を安くする方法を考えました。そのもっとも効果的な手段が、機械化による労働生産性の向上です。それは大量生産によって、労働者が日々消費する食料品や衣料品など生活物資の価格を下げることによって実現されました。

要するに資本家は、機械を導入することによって、労働の生産力を高めて大量生産を可能にし、商品を安くし、商品を安くすることで、労働力の再生産費である生活費を安くし、それによって労働者がもつ労働力の価値(=賃金)を安く抑えました。

機械導入による労働者への影響はこれだけではありません。機械をいれたことで、これまでほど労働者が必要とされなくなりました。労働者は余剰人口となってしまい、失業率が高まり、今度は需要と供給の関係から労働力の価値(=賃金)が低下しました。

労働者の立場からすると機械の導入は、雇用を奪い、賃金を下げ、労働強化となる、負の側面しかないように見えますが、一部の雇用は新技術の分野にそのまま移行するという見方もあります。また消費者の立場からは、低廉で入手しやすい商品が増え、技術革新の恵みを享受することで生活を豊かにすることができます。

ところで、資本家の立場から見た機械導入にはもう一つの面があります。それは他の資本家に先んじて技術革新を行い、その結果生じる一般的な価格低下がその生産部門全体に広がるまでの時間差を利用して、新製品を技術革新以前の高価格で大量に売りぬけるというものです。これは資本家にとって魅力的です。この方法は、現在の資本主義の主戦場となっているといわれています。獲得した資本の使い道をきめるのは資本家ですが、資本のもととなる剰余価値は労働者からピンハネされたものです。

現代社会でも、企業業績は上がっても、景気がよくなっても、労働者の賃金は抑制されたままでむしろ下がっています。賃金制度には労働者間の競争を煽る能力主義や成果主義といったものが導入され、上限の決まった人件費を労働者同士で奪い合うシステムです。職場では非正規労働者の割合が増加するのにともなって、正社員の労働強化と賃金抑制がすすめられています。産業革命以降の労働強化の時代と類似しているとは思いませんか。資本家は儲けるために同じ手法を繰り返しているようにもとれます。
「歴史は繰り返す」、過去に起こったことは同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こるという意味のローマ時代の歴史家の言葉です。それを止めるのも、よりよい方向に変えられるのも、私たち現役の労働者です。
〔2014年9月28日掲載、2015年1月30日大幅改訂〕

第10回 労働組合は労働市場における賃労働の売手側の組織である

資本主義とは完璧な経済体制ではありません。とくに労働者にとっては矛盾だらけの体制です。資本主義は商品生産の社会だから、その中では生産的労働が求められます。この生産的労働こそが資本主義を資本主義たらしめる労働なのです。
そして商品の価値である使用価値と交換価値のうち生産的とされるのは、どんな社会でも使用価値を増やすことではないでしょうか。しかし、資本主義の場合は違います。労働力を使用したその先の剰余価値の量だけが問題となります。生産的労働とは、つまり資本の価値を増殖させる労働だけが対象なのです。

資本主義社会の等価交換の世界に隠されている労働力商品の矛盾というのは、まず賃金にはもともと資本家あるいは資本のピンハネ分が含まれているということです。
マルクスの議論には、労働価値説や労働時間による価値の測定といった、今日の経済にはそのまま適用しにくい前提も時に見られます。しかし、労働者に支払われている賃金と、労働者が作り出している新しい価値の差額分を、資本家が取得しているという事情は今日でも変わりません。細かな計算はともかくとして、労働者が剰余価値生産を行っていること、そして賃金労働の契約上、剰余価値の取得権は資本家に帰属していることは、私たちの直観にも十分になじむものです。剰余価値の一部が、労使協定によって労働者側に配分されたり、ボーナスの形で労働者に戻されることはあっても、これは労働者本来の権利としてではなく、さらなる生産活動へのインセンティブ(やる気を起させるような刺激)を与えるために、資本家側がしぶしぶ同意する給付の形をとるのが普通でしょう。

では、こうして取得された剰余価値を資本家はどのように使用するのでしょうか。資本家によっては個人の消費基金に回すかもしれませんが、優れた資本家ならば、その資金をさらなる生産過程に再投資するはずです。
生産をするためには、道具や機械などの労働手段と、原材料などの労働対象が必要です。マルクスは生産に要するこうした物的要素を生産手段と呼んでいます。そして生産にはもちろん、その生産手段に働きかけて、生産活動を行う労働力が不可欠です。
(NHKカルチャーラジオ歴史再発見のテキスト『思想史の中のマルクスー資本主義はどこへゆくのかー』89ページ、著者:鈴木直・東京経済大学教授)
こうして資本は生産性を高める両輪①長時間労働と②労働強化をフル稼働させて、さらなる進化を遂げます。資本主義が進化すると資本は中小零細企業から大企業、巨大企業へとどんどん大きくなっていきます。それとともに今度は労働力と生産性の矛盾が発生します。
###労働力と生産性との関係###
機械を導入した場合
生産量が増え、必要労働時間は下がり、剰余価値の割合が増え、労働者の熟練度は必要なくなります。したがって労働力の価値=賃金は下がり、生産量が増えます。
労働者の熟練度が上がった場合
商品1個当たりの生産時間が短くなるため生産量は増えます。能力が上がった分、労働が強化されたことで資本家が得る剰余価値も増えます。
労働者の生活費高騰にともなう賃金上昇の場合
賃金上昇とともに必要労働時間が増え、剰余労働時間が縮小されて剰余価値が下がります。資本家はこれまでの剰余価値を維持するために、剰余労働時間を延長してきます。
大企業・巨大企業になった場合
資本は他の企業の利潤を奪うため生産性の高い新しい機械を導入します。人件費と新型機械とを天秤にかけて労働者を削減してきます。そのため労働は強化され、操作が簡単な機械は未熟練労働者でも誰でもよく労働力の価値=賃金は低下します。資本が大きくなって生産量が劇的に増大しても、労働の総量は反対に縮小するのです。
剰余価値というのは利益とか利潤とかさまざまな言葉で言いかえられますが、結局は資本家が労働者からピンハネしたものです。労働者の立場からすれば、労働力という商品は人間という生身の身体に刻印されているものですが、そういった面は労働力と生産性との関係には登場しません。しかも、労働力商品の場合は等価交換とは別に、交換価値と使用価値との間の差を加味しなければおかしいのに、その差は「支払われる労賃(賃金)」と「支払われない剰余価値」との差として、労働力商品の矛盾としてしか出てきません。当時の資本家の考え方はこうです。
資本は、労働力の寿命を問題にしない。資本が関心をもつのは、ただもっぱら、一労働日に流動化されうる労働力の最大限のみである。(岩波文庫、マルクス資本論(二))
必然的に資本主義社会では相反する2つの集団、多数の雇われる者=労働者と少数の雇う者=資本家との間に、経済や権利をめぐっての闘争が起こります。労使紛争です。
僕が君に売った商品は、その使用が価値を、しかも、それ自身が値するよりも大きい価値を創り出すということによって、他のありふれた商品とはちがう。これが、君がそれを買った理由だった。君の方で、資本の価値増殖として現われるものは、僕の方では、労働力の過剰支出である。(岩波文庫、マルクス資本論(二)97ページ)


労働者の闘争

労働者の最初の闘争は19世紀初めのラッダイト運動です。機械打ちこわし運動といわれるものですが、これは職場を奪う機械に対して、労働者が破壊という行為で反抗した運動です。(中略)こうした機械打ちこわし運動は、散発的であり、やがて社会的圧力に屈せざるを得なくなった(中略)

労働者の抵抗が組織化するのは、1824年に労働者に結社の権利が認められたときからです。こうして労働組合が生まれ、抵抗が組織化していきます。労働組合といってもそれは、まだ職人組合に近いもので、近代的なものではありませんでした。それでも賃金闘争などで大きな役割を果たします。
(NHKカルチャーラジオ歴史再発見のテキスト「21世紀から見る『資本論』マルクスとその時代」75ページ、著者:的場昭弘・神奈川大学教授)
なお、この時代の労働者の要求内容を一部紹介します。
1831年11月フランス・リヨンの労働者蜂起
新しい絹織物機械がつくりだす価格破壊に対して、価格の最低限を要求し、賃金の最低ラインを確保しようと市と交渉した。
1844年6月プロイセン・シレジア(現ドイツ・シュレージェン)の労働者蜂起
織布工が賃金の引き上げ、一時金の支払いを求めて立ち上がった。
このようにして19世紀初頭に労働組合が認められてから今日まで、労働組合は賃労働の売手側の組織としての役割を担い続けています。この回のおわりに約45年に亘って私たち東京一般を指導していただいた故高木宏夫先生(東洋大学名誉教授、東京一般特別執行委員)の学習活動記録より紹介します。
故高木宏夫先生「なぜ組合活動をするのか、しなければならないのか」

労働者階級はピンハネされている。それをいかに減らすかが労働運動だ。

資本主義は自由競争を前提とするという原理をたてている。自分以外は競争で負けるのだから、どうなってもかまわないという人間不在・他人不在の制度である。

われわれが生きるということの中に、「自由競争」という名のもとに行われれる差別と搾取(ピンハネ)が、いつの間にか、われわれ一人一人に当たりまえのこととなってしのびこんでしまっているのである。


労働組合は労働条件と経済条件を改善してゆく組織である。

企業が、むき出しの欲をいろいろなオブラートで包んでいることは、そこに働く誰でもが感じとっていることである。これをチェックしながら少しでも人間らしい生活に近づけようとするのが労働組合である。労働組合の組織そのものとしては合法的であり、その活動も保障されている。それは別な面からみれば現在の社会体制を前提とするものであるから、その中での労働者が自己防衛をする最小限度の手段である。
〔2015年2月2日掲載〕

第11回 資本主義と恐慌

恐慌は資本主義社会の始まりとともに起こった現象です。資本主義社会では、例えばあなたが銀行にお金を預けたとき、あなたは銀行から通帳を受けとるだけです。それでも安心していられるのは、その銀行を信用して取引しているからです。このように資本主義は信用取引で成り立っている社会です。だから銀行の倒産など、一旦その信用が崩れたときにはパニック(恐慌)が起こります。
恐慌になると、倒産による失業、解雇、賃金の引き下げ、労働条件の悪化など労働者にとって悪いことが起こります。貧困問題につながりかねないような不安定な状況にまで追い込まれる人も多く、労働者は苦労します。労働者に大きな影響を及ぼす恐慌とはいったいどんなものでしょうか。


恐慌とは
2008年に世界を襲ったリーマンショックは、大恐慌かともいわれていました。しかし、世論は大恐慌という言葉を使うことを、なるべく避けたかったのです。その理由は何かをいえば、恐慌は資本主義にとっての致命的アキレス腱であるからです。

資本主義社会は、基本的には個別の資本が自らの利益を目指して行動している世界です。だからそこには全体的計画というものは必然的には出てきません。結果、売れ残りが経済を恐慌という形で破壊するのです。もちろん、少々の売れ残りがあっただけで経済が崩壊するわけではありません。むしろ売れ残りによって累積された力が問題です。

(NHKカルチャーラジオ歴史再発見のテキスト「21世紀から見る『資本論』マルクスとその時代」84ページ、著者:的場昭弘・神奈川大学教授)
19世紀の恐慌は10年に1度の割合で発生し、その影響も半年で抜け出せるくらいのものでした。資本にとっては膿を出す、調整の場でしたが、たとえ数カ月でも失業して家計の収入を断たれる労働者にとってみれば、生命の危機ともいえる恐ろしいものでした。今のようにセーフティーネットのない時代、失業状態で家族が食べていくのは大変だったのです。

では、どのようなときに恐慌になるのでしょうか。恐慌は過剰生産(売れ残りの累積)+下の①~④のいずれかとの組み合わせで起こると言われています。
①資本主義と労働者人口との微妙なバランスの問題
資本は、労働者の過剰人口を景気の調整弁に使います。景気のいい好況期には過剰人口が減り賃金が上昇しますが、逆に恐慌が起こると仕事を失う労働者が増えて、過剰人口を押し上げ賃金の引き下げにつながります。その結果、労働者の生活は大変になります。
②生産財と消費財の生産部門のアンバランスの問題
生産財生産部門(鉄道や造船など)と消費財生産部門(机などの日用品)との間には、生産の不均衡の問題があるわけです。生産財は投資から回収までの期間が長期に亘りますし、消費財は短期で回収できます。恐慌は固定資産の回転期間によって規制されます。
ところが景気が悪くなったときに、消費財の生産は抑えられますが、機関車や船など生産財の生産は急に止めることはできません。このような食い違い、アンバランスこそが無計画に行われる資本主義経済が引き起こす恐慌の原因ともいえます。
③利潤率がどんどん下がる傾向にあるという問題
資本主義社会の企業は常に競争に晒されています。企業は労働者から搾取するだけでなく、他の生産性の低い企業の利潤をも搾取します。そのためにより優れた機械を導入して生産性を高めます。新しい機械を導入するとなると商品に占める機械や原料の割合が高くなり、利潤率がどんどん下がっていきます。資本主義社会においては、こうして利潤は低落傾向にあるのです。こうした傾向が進むと当然労働者の賃金が減少することになるわけです。
企業が消費者としての労働者の賃金を当てにしても、生産量が増えれば当然価格は下がるのですが、下がっても、労働者の消費能力が少なければ売れないから、過剰生産になり、恐慌の可能性をつくりだします。
相対する諸原因の衝突は、周期的恐慌にはけ口を求める。恐慌はいつも現存する諸矛盾を一気に暴力的に解決することであり、崩れたバランスを一気に回復する瞬間的暴力である。
(岩波文庫、マルクス資本論(六)393ページ)
④信用制度の発展にともなう投資による資本の増大の問題
資本による欲望は生産によって得る利益だけに止まりません。生産によって得られた利潤は、そのまま投資しなければ無駄な資本として遊休化していきます。資本家はその遊休資本を自らの産業以外に投資して利益を上げようとします。こうして生まれたのが信用制度です。
遊休資本は銀行に貯蓄され利子を生みます。ここで産業で生まれる資本とは違う、利子を生む資本が資本主義社会に登場します。それはやがて公債や株式などが発行されるようになると、その配当をめぐって証券市場が出現し、その市場への投資がはじまります。通帳や証券などこれらは時価ではそうした資本があるかのように見えますが、実際に貨幣の支払いが必要になったときに、銀行や証券会社の手元に貨幣がなければ、信用崩壊につながりパニックが起こります。
19世紀においてはまだ国家も中央銀行も、恐慌を止めるための債務者として十分に機能していなかったため、過剰生産を吸収したり、信用を裏書したりすることができなかったわけです。
19世紀、10年に1度起きていた恐慌は1867年を境に不定期になります。
恐慌の変化
エンゲルスは、はっきりと周期的な循環型の恐慌が変わったという言い方をしています。恐慌ではなくむしろ不況といったほうがいい程度になった。しかしこれはやがてもっと大きな恐慌が来る前触れなのか、という言い方をしています。(中略)

さてどうして恐慌が変化したのでしょうか。

一般的に何度か繰り返される恐慌の中で少しずつ独占が進み、企業の規模が大きくなったことが上げられます。恐慌にあってもこうした大きな企業は揺るがない。なぜなら、カルテルや国家救済などを使って、会社を倒産させないような力を得てくるからです。

だから恐慌ではなく、不況となる。景気は後退し、利潤率は下がるのですが、恐慌のような打撃はない。しかしこれによって本来は倒産してしかるべき企業が生き残ることになります。恐慌によって整理されることで負のエネルギーが解消されるのですが、不良な企業が生き残ることで、その企業の倒産がつぎまで引き伸ばされていく。周期的恐慌は、弱体した企業の淘汰という側面をもっていたのですが、それがなくなることで、ガス抜きができなくなる。それがエンゲルスが恐れたものだったのです。

(NHKカルチャーラジオ歴史再発見のテキスト「21世紀から見る『資本論』マルクスとその時代」108、109ページ、著者:的場昭弘・神奈川大学教授)

※エンゲルスとはドイツの思想家・革命家、マルクスの死後その遺稿を整理して『資本論』第2、第3巻を刊行。
〔2015年3月1日掲載〕